
小学校1年生までの友達は、医者と看護師。
通知簿の成績よりも出席日数の方を褒めてくれていた両親。
20歳まで生きられないかもしれないとも知らずに……
「慧梨香が健康で1日過ごせるだけで、ただそれだけで嬉しいんだよ。」の言葉の中で生きてきた私。
そんな私の5歳の夢は……
「きれいで あまい おくすりをつくる人になること」
長く辛い治療が終わると、透明なガラス瓶から少女の手のひらに届けられたキャンディー。
一粒のキャンディは鮮やかな色を放ち、私を笑顔にしてくれた。
口の中で溶けていくキャンデイーは、私をますます笑顔にしてくれた。
5歳の私の夢は「きれいで あまい おくすりをつくる人になること」

家族をはじめ、私のまわりのすべての人々のおかげで、私は健康に近づいていった。
と同時に、私が教室にいられる時間も長くなっていった。
いつの間にか教室は、私にとってとても楽しい場所に変わっていった。
そこには、先生がいて友達がいて……何より学べる最高の場所だった。
「知らないことを知る喜び」「わらかないことがわかる喜び」「できなかったことができるようになる喜び」
夕暮れどきまで学校にいるほど、学校が大好きになっていた。
そして、ただそこにいるだけで、教室を元気で明るい色に変えてしまう先生が大好きだった。
私はその先生のように魔法を使って、教室を元気にカラフルにしたいと思いはじめた。

10歳の私の夢は「小学校の先生になること」
10歳で自分の将来を決め、目標を達成するために教育大学への進路をとった。
1990年。
私は私立小学校教諭となった。キラキラの笑顔と個性と才能の中で、子どもたちとともに時代を生きた25年間。
1994年。
ご縁があり結婚。
それから3年後に男の子を出産。その3年後に女の子を出産、その3年後に男の子を出産。
3人目の子どもは、ダウン症候群に併せ肺不全もあり6ヶ月の生涯を閉じることになった。
そこから……私は心の病にむしばまれた。まさか私が…。それからは、別居そして離婚と……私が描かなかった日々に向きあうことになりました。
様々なハードルをいくつも超えてきた。
ハードルを超える側に「色と香りと心理学ときどき占術」があったのは、私にとっての救いだった。
「神様は、私が超えられるハードルしか用意されない。
このハードルを超えたら、この経験がいつか、きっと、誰かの役に立つ。」との想いも、私が壊れ切ってしまわない軸となった。
教師として働き、シングルマザーで二人の子どもを育てることは簡単ではなかった。
子どもを一緒に育ててくれた人々に感謝。
育ってくれた二人の子どもたちへ感謝。
一度、教壇を去った私は
それからも、教育界の中で生きていくことになった。
法人内人事異動で「総合企画課勤務」「人事課勤務」となり、6年の時を経て特別支援教員として小学校に戻ることになった。
このタイミングで、教育界で生き続けた人生の最終楽章とし、fairy rose を設立することにしました。


33年間のキャリアを終え、数秘「33」の私に訪れたタイミング。
長い教員生活経験から人が輝くために必要なことは3つ。
・自分らしく生きる勇気をもつこと
・自分らしさを表現できる術をもつこと
・ココロとカラダが元気であり続けること
fairy rose は、女性の精神的&経済的自立が子どもたちが夢や希望や未来を描けるように導くと信じ、女性の方々に真摯に向き合っています。